できるところから始める
人権方針が策定できたら、いよいよ具体的な取組に入っていくわけですが、その中心となるのが「人権デュー・ディリジェンス(人権DD)」です。
人権DDとは何をすることなのかということについては、政府の「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(2022年9月、以下「ガイドライン」)などで解説されていますが、そこに挙げられている取組はあまりにも多岐にわたり、これをフルスペックで全部実行するのは上場企業や大企業にとっても容易なことではありません。人的・物的リソースに制約のある中小企業にとってはまず無理だと思います。
しかし、「全部やるのは無理だから何もしない」というのでは、企業としての人権尊重責任を果たすことができませんし、「人権」を活かした企業の成長も見込めません。何ごとも、できるところから始めるという第一歩を踏み出すことが大切です。
その第一歩を踏み出すにあたって、まずは国連の指導原則や政府のガイドラインが示している「人権DDの枠組み」がどのようなものなのかを、ざっくりと把握しておきましょう。繰り返しますが、はじめから全部やろうと意気込む必要はありません。完璧主義は挫折のもとです。
人権DDの枠組み
国連の指導原則や政府のガイドラインでは、人権DDは次の4つのステップで行うものとされています。
2.負の影響の防止と軽減
3.取組の実効性の評価
4.説明と情報開示
【ステップ1】負の影響の特定と評価
このステップは、人権DDの出発点となる重要なプロセスです。PDCAサイクルで言うと「P」(Plan:計画)に当たる部分です。
企業の事業活動や取引関係の中で、労働環境、安全衛生、差別、児童労働など、人権侵害につながる可能性があるリスクを洗い出し、各リスクがもたらす影響の深刻度を評価します。リスクは自社内に限らず、サプライヤーや業務委託先など、ビジネス上の関係先にも目を向ける必要があります。ここで大切なのは、「問題があるかどうか」を断定することではなく、「問題が起こり得る場所」を想像し、把握することです。とはいえ、すべてを網羅することは難しいので、影響が大きいと思われる領域から優先的に検討を始めるという姿勢が推奨されています。
【ステップ2】負の影響の防止と軽減
ステップ1で特定されたリスクに対して、どうすれば人権侵害を未然に防げるか、あるいは被害を最小限にとどめられるかを考え、防止と軽減につながる具体的な取組を実行する段階です。PDCAサイクルで言うと「D」(Do:実行)に当たる部分です。
この段階では、社内のリスクといった、自社の支配領域にあるリスクについては、就業規則や業務フローの見直しなどを行って具体的な改善・防止の取組をします。取引先などの「外部に存在するリスク」については、取引先への改善要請などを通じて、できる範囲の対策を講じることが求められています。取引先との関係はなかなか難しいものがありますが、だからといって何もしないという選択は推奨されません。影響力の及ぶ範囲で誠実に対応する姿勢が人権DDの考え方です。小さな改善であっても、その積み重ねが人権リスクの回避につながります。
【ステップ3】取組の実効性の評価
ステップ2の対策を講じたあと、それが実際に効果を上げているかを見極めるための評価・分析・効果測定を行う段階です。PDCAサイクルで言うと「C」(Check:評価)に当たる部分です。
この評価の仕方に決まりがあるわけではありませんが、例えば、現場の声を定期的に聞くことや、社内外からのフィードバックを受けて改善につなげることが有効です。自社だけで評価が難しい場合は、取引先との対話を通じて課題を共有し、改善のアイデアを出し合うことも一つの手段です。大事なのは、取組を「やりっぱなし」にせず、継続的に見直し、より良い形に育てていくことです。
【ステップ4】説明と情報開示
最後に、企業としてどのような取組をしているのかを、社内外に伝える段階です。中小企業の場合、必ずしも公的なレポートを作成する必要はありませんが、取引先や社員に対して、取組みの内容や考え方を伝えていくことは重要です。社内報やホームページ、日常の会話を通じた共有など、小さな形でも構いません。こうした姿勢が、信頼を生み、将来的には取引機会の維持・拡大にもつながります。
PDCAの「A」はどこ?
この全体像を解説した記事や書籍などでは、ステップ1から4までの全部をそのままPDCAサイクル図に対応させて表現している図(1→2→3→4→1…と回る図)をよく見かけます。しかし、上記の説明でお分かりいただけると思うのですが、ステップ4はPDCAの「A」(Act:改善)には該当しません。
PDCAの「A」は、本来「C(評価)」で分かった課題を踏まえて、次の改善アクションを設計・実施する段階のことです。つまり、「改善のための学びと再設計」が「A」であり、ステップ3の結果を放置せず「次にどう生かすか」に反映させる行動のことを指します。
人権DDで言えば、以下のような流れがそれにあたります。
↓
なぜうまくいかなかったのかを分析し、ステップ1(評価の仕方)やステップ2(改善策・予防策の設計や実行方法)を見直す
↓
次のサイクルへつなげる(ステップ1に戻る)
人権の取組を「攻め」に活かすなら【ステップ4】が肝になる
ステップ4の「説明・情報開示」はPDCAにおける「Act=改善」そのものではありません。むしろ、情報を社内外に「可視化」することで、新たな気づきやフィードバックを受け、次の「P(計画)」につながる基盤をつくる役割を担っていると言えます。
そして何より、ステップ4は、外部への説明責任を果たし、ステークホルダーからの信頼を構築するという意味で、とても重要な意味を持っています。
なので、私はどちらかというと、人権DDのプロセスを図解するなら、「ステップ1から3までをぐるぐる回しつつ、その全体をステップ4が包摂している」というイメージが良いのではないかと思っています。
中小企業がこのビジネスと人権の取組を「守り」ではなく「攻め」に活かしたいなら、このステップ4の情報開示こそが肝になります。だからこそ、あえてこのステップ4を他のステップとは別の次元に位置づけておきたいわけです。